2009年08月31日

【コラム】やっと理解した、24時間テレビというもの

先日、テレビで結構な豪邸に住んでいる芸能人が、多摩川での魚の産卵を見て、「感動する」という趣旨の発言をしていた。歩いて川に行けるらしい。

感動?

私にはちっともわからなかった。魚にすれば当然の営みであり、ただ、生きているだけだ。たとえば、多摩川の浄化運動に長年を費やして、結果として今までなかった生物の営みが戻った、ということならわかるが、この芸能人は観察のみだ。

よくこういう話になると、「純粋に生物の営みに感動して何がおかしい」という人もいる。しかし、その人が横をあるている見知らぬ他人を「ああ、歩いているなぁ」と感動することはない。

そう、こういうことに感動する、という人は自分はその対象物とは違う、という目線で見ているのだ。それは上から目線でもある。

イルカ、クジラの捕食を反対する人も同じ理論だ。「この生物は自分達に近い、哺乳類だ」という主張は自分達がその生物よりも上である、という思想があることを証明している。イルカ、クジラにしたら、もしかしたら人間の方が下の生物、と思っているかもしれないのに。生物として対等に見ていないのだ。


では、24時間テレビはなぜハンディキャップをもっている人ばかりを映すのか。なぜ病気になった人ばかりを映すのか。

先の金持ち芸能人の目線を民衆に与えるためなのだ。
先日、作家のよしもとばななが「私は一般人とは違う特別な人間」という趣旨のコラムを書いてネットで批判されたが、この視点を民衆に与えることがこの24時間テレビの趣旨なのだ。

特権階級、日本を動かしていると思っている人たちの視点。それを民衆に与えるにはどうしたらいいか。

彼らが作る、マスコミ情報に左右されるバカな民衆に対する目線。
その目線の差を、民衆に対するハンディキャップだったり、病気の人間を映しだすことによって、「感動」という裏にある優越感を民衆にも与えてあげることが目的なのだ。

これは日本人の差別感情の歴史でもある。為政者が差別をするためには、差別の階級が必要なのだ。

24時間テレビに感動をする、という人はもう一度自分の感情を見直してみて欲しい。本当に優越感はないか?なぜ感動するのか?

そこからが差別感情(自分自身の劣等感情)から脱却の一歩であり、マスコミのコントロールからの脱却の一歩でもある。


shy_icon







「いや、無理でしょ。

シーシェパードの人に同じこと言っても通じないのと同じよ。

相対論と絶対論を比較検討しながら考えなくてはならないし。

ポニョ論議の時と同じ。妄信者は自分の信念を疑うことをしないからねぇ。

ま、上から目線、っていうのはいい論点だったけど。

ぶふぅ」


posted by ワルぱんだ at 09:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき
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