2008年06月20日

【批評】ラスト・フレンズ、最終回22.8%

無理やり尺を伸ばしたような冗長感たっぷりの最終回が終わりました。ブログでも話題のキーワードとなっています。
起承転結の転から見ている人にはてんこ盛りな感じが昔のトレンディドラマを彷彿させて面白かったかもしれない。はじめから見ている人にはたぶん、何か釈然としないものがあったのではないか。
そもそも、このドラマは何が言いたかったのか。主人公は誰なのか。
■岸本瑠可・・・性同一性障害ではなく、単なる性別違和症候群(レズビアン)であり、支えてくれる友達、家族、そして努力してモトクロスで優勝する才能を持ち合わせている、とても恵まれた子。
■水島タケル・・・セックス恐怖症ではあるが、それに悩んでいるような性欲も感じない、聖人君子のような子。
■滝川エリ・・・いわゆる共依存体質な問題児
■小倉友彦・・・妻に不倫されて、その寂しさをエリで埋める、一般的によくいる弱い人間
■及川宗佑・・・DV男
■藍田美知留・・・完全なる共依存体質

主人公がいない・・・。いないのだ。
しかし、こうまとめてみると、登場人物はあるタイプに分類されている。それは「依存と恐怖」である。
この二つのキーワードが注目すべきことなのではないか。
ドラマとして見た場合、演技がどうだ、とか描き方や行動などは心理学的にはありえないことが多かったりといろいろあるのだが、それは置いておいて、このドラマは現代病の片鱗をうっすらと視聴者(わかる人のみ、だと思うが)にアピールしているのはないか。
人気の若手俳優とわかりやすい描写で一見わかりずらいが、本当に言いたいことは個々の事象ではなく、現代の若者が置かれている状況に対する警鐘なのではないか。

そう考えると、ラストに対する見方も変わってくる。美知留は子供に依存した考え方をした。自分のような依存体質の人間をまた増やしてしまいそうになる。しかし、瑠可とタケルが育ての親を買ってでる。
もはや、夫婦という形だけがベストではないのだ。この3人の法律的には報われない愛の形が、バランスよく子供を育てることになるのかもしれない、となんとなく希望が持てる。依存でも恐怖でもない、無償の愛。

新しい日本のしあわせの形なのかもしれない。

シェアハウスは一戸建て。日本の通常の発想では「家族・家庭」のイメージ。そこに帰る3人に対して、出ていって、常識の発想の幸せ、「結婚」を選んだオグリンとエリーにはなぜか幸せな希望を感じることがない。彼らは「依存」からの脱却がなかった(描かれなかった)からだ。

アラサー、アラフォーなど、お金を使わない若者以外に金を使わせようと広告会社、メディアは価値観の植え付けに必死である。

そんな相対的な嘘の幸福の常識は今の日本の不幸せを生んでいるのかもしれない。それを主導しているのがマスメディア。そんなマスメディアに対するアンチテーゼさえもを脚本家から感じるのは、ちょっと考えすぎか。

(BETA)

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「深く考察しすぎじゃないの?
来週の追加版見て、全然ちがうじゃん!ってことになったら恥ずかしいよ〜。

ぶふぅ」


posted by ワルぱんだ at 17:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 芸能
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